蜆売り

 年末にテレビ録画で桂福團治の「蜆売り」を聞いた。
 見事な芸です。

 以前聞いたのとは、細かな点でけっこう違う。
 この話もいくつものパターンがあるようで、店の主人が
鼠小僧というのが江戸落語の標準らしいのだが、私が以前
聞いたのは、それとも違っていて、下げの部分も、蜆売りの
お姉さんの旦那をすぐに助けに行くというパターンで、
お姉さんたちにお金を渡したのが店の主人という展開も
なかった気がする。

 福團治の下げは、段々遠くなって行く蜆売りの声に、
「がんばれよー」と声をかける形。
 余韻たっぷりだが、私的には、姉ちゃんの旦那を何とか
してもらわないと落ち着かない。

 ところで、鼠小僧は義賊ではなかったというのが近頃の(?)
定説らしい。



 以下、「落語あらすじ事典 千字寄席」より。

蜆売り(しじみうり)  落語

落語にも鼠小僧が出てくるのがあるんです。カッコよすぎです。

ご存じ、義賊の鼠小僧次郎吉

表向きの顔は、
茅場町の和泉屋次郎吉という魚屋。

ある年の暮れ、
芝白金の大名屋敷の中間部屋で
三日間バクチ三昧の末、
スッテンテンにむしられて、外に出ると大雪。

藍微塵の結城の袷の下に、
弁慶縞の浴衣を重ね、
古渡りの半纏をひっかけ、
素足に銀杏歯の下駄、尻をはしょって、
濃い浅黄の手拭いで頬っかぶりし、
番傘をさして新橋の汐留までやって来た。

なじみの伊豆屋という船宿で、
一杯やって冷えた体を温めていると、
船頭の竹蔵がやはりバクチで負けてくさっている
というので、
なけなしの一両をくれてやるなどしているうち、
雪の中を、年のころはやっと十ばかりの男の子が、
汚い手拭いの頬かぶり、
ボロボロの印半纏、素足に草鞋ばきで、
赤ぎれで真っ赤になった小さな手に笊を持ち、
しじみィー、えー、しじみよォー」

渡る世間は雪よりも冷たく、
誰も買ってやらず、あちこちで邪魔にされているので、
次郎吉が全部買ってやり、
しじみを川に放してやれ
と言う。

喜んで戻ってきた子供にそれとなく身の上を聞くと、
名は与吉といい、
おっかァと二十三になる姉さんが両方患っていて、
自分が稼がなければならない
と言う。

その姉さんというのが
新橋は金春の板新道で全盛を誇った、
紀伊国屋の小春という芸者だった。

三田の松本屋という質屋の若だんなといい仲になったが、
おかげで若だんなは勘当。

二人して江戸を去り、
姉さんは旅芸者に、
若だんなの庄之助は碁が強かったから、
碁打ちになって、
箱根の湯治場まではるばると流れてきたところ、
亀屋という家で若だんなが悪質なイカサマ碁に引っ掛かり、
借金の形にあわや姉さんが自由にされかかるところを、
年のころは二十五、六、
苦み走った男前のだんながぽんと百両出して助けてくれた上、
あべこべにチョボ一で一味の金をすっかり巻き上げて追っ払い、
その上、五十両恵んでくれて、
この金で伊勢詣りでもして江戸へ帰り、
両親に詫びをするよう言い聞かせて、
そのまま消えてしまったのだ
と、いう。

ところが、この金が刻印を打った不浄金(盗まれた金)であったことで、
若だんなは入牢、
姉さんは江戸に帰されて家主預けとなったが、
若だんなを心配するあまり、
ノイローゼになったとのこと。

話を聞いて、次郎吉は愕然となる。

たしかに覚えがあるのも当然、
その金を恵んだ男は自分で、
幼い子供が雪の中、しじみを売って歩かなければならないのも、
もとはといえばすべて自分のせい。

親切心が仇となり、
人を不幸に陥れたと聞いては、
うっちゃってはおかれねえと、
それからすぐに、兇状持ちの素走りの熊を身代わりに、
おおそれながらと名乗って出て、
若だんなを自由の身にしたという、
鼠小僧俠気の一席