般若心経は無の字がたくさん

 先日、法事に行ったら、住職の読経の前に、一人ひとりに冊子が渡されました。
 一緒に声を出せということではなくて、「最初のお経は○ページの般若心経です。次は、○ページの○○です」と言われただけでした(一緒に声を出せと言われる場合もあります。自分で声を出すと、音が合っているのかどうか、かなり不安です)。
 お経の間に、冊子を読んでいて気がついたことは「般若心経には、無の字が多い」ということです。
 無の字が多いのは、多すぎる人の煩悩を牽制するためなのでしょうね。 
 今、お経が作られても、同じようなことになるのでしょうか。
 それとももっと「無」が多くなって、経文が全部「無」になってしまうのでしょうか。
 それも、インパクトがあってよいかもしれません。