若い燕

過日、「若い燕」は、なぜ燕? という話に。
ネットで調べた結果です。

頻繁に女の巣に通うことから例えられる。後に女性解放運動家・平塚らいてうの夫となる、平塚より5歳年下の画家・奥村博史が(運動の邪魔にならないよう、一時的に身を引いた際に)、自分を例えて「水鳥たちが遊ぶ池に迷い込んだ若い燕」と表現したことに由来する(瀬戸内寂聴の小説『美は乱調にあり』では、平塚が奥村をラブレター上で若い燕と形容したことになっている)
婦人解放運動で有名な平塚雷鳥が青年画家奥村博史と親しくなり、それがまわりに知られて問題になった時のことです。気の弱い奥村は自分を若い燕にたとえ「池の中で水鳥たちが仲良く遊んでいた所に、一羽の若い燕が飛んできて大騒ぎになりました。この思いがけない結果に驚いた若い燕は飛び去ります。」と言う趣旨の手紙を残し田舎へ帰ったと言います。しかし雷鳥は「燕なら春になると帰ってくるでしょう」と返事を出し彼を呼び戻し、その後二人は共同生活を始めたと言います(大正三年の事です)。「若い燕」という言葉はここから来ています。

平塚らいてうの生没は、1886年明治19年)2月10日 -
1971年(昭和46年)5月24日だそうです。

案外歴史の浅い言葉だったのが驚きです。